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写真:聖さん(ノースサファリサッポロ)

〜 体験と経験(2) 〜

<体験>

本日は聖さんスペシャル。
というわけで「体験と経験(1)」の続き・・・

僕は大学生の頃、馬に乗れるようになりたくて、3日間だけ乗馬スクールに行ったことがある。
しかしそれ以来、一度も馬には乗っていない。
「馬に乗れますか?」と今問われたら「まったく乗れません!」と答えるでしょう。

僕にとって「乗馬スクールに行った」ことは経験ではなく、きっと体験なのだ。

写真:聖さん(パンフレット)

<体験も大事だけど>

自閉症のお子さんを持つ親御さんの中で、教育に熱心な人ほど、陥りやすい過ちというのがある。

「この子にはいろんな経験をさせたくて・・・」

往々にして、その親御さんが「経験」と思って子供にさせていることは、残念ながら「体験」の場合が多い。

もちろん「体験では意味がない」なんて言うつもりはない。
思い出にはなるしね。

でもね、教育としてって考えるなら・・・

「3日間だけ乗馬スクールに通った僕の過去は、今の僕を形成する上で、何ら影響はなかったと思われる。」ってことなので(苦笑)

写真:聖さん(ホットケーキ)

<散歩>

ある我が住人と毎日マンツーマンで散歩に出かけていた。

始めの頃「今日はあっち行こう」って感じで、僕は彼をいろんな場所に連れて行った。
彼は僕の後ろを黙々とついて歩いた。

しかし僕も段々ネタがなくなり、気が付くと毎日同じ道を散歩するようになってしまった
これが運のツキ!

同じ道を散歩し始めて、3ヶ月くらい経った頃。
ある日彼は僕に背中を見せ、僕の前を歩き出したのだ。
そしてしばらく歩いた後、赤信号の前で止まり、信号を指差してこう言った。
」と・・・

ちなみにその彼はほとんど言葉を話さない。
26歳の時に初めて母親に「お母さん」と声をかけ、その感動の秘話が新聞にも載ったほどだ。

写真:聖さん(屯田公園)

<経験>

それから僕はその我が住人と3年くらい同じ道を散歩した。
その中で彼はいろんなことに気付いた。

同じ道を歩き始めて1年後くらいだろうか、ある日の散歩中に、道端に咲くチューリップを見て「」と言いながら僕に確認を求めてきた。
僕は震えるほどの興奮を抑えながら「花だね」って応えた。

僕に言わせれば、これこそがまさに経験なのだ。

体験と経験(3)」に続く・・・

平成22年1月20日(水)

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(C) Takashi Yokota 2010