支援費制度ではヘルパー事業所が・・・
自立支援法では児童デイサービスが・・・
雨後の竹の子のように、たくさんの事業所が立ち上がり、それぞれが熱い想いを胸にがんばってくださっていると。
でも、もし「なんか上手くいかないなぁ〜」って思ったら・・・
この言葉を思い出して欲しい。
「愛は禁止」
※経営が上手くいかないとかの場合は除く。
僕が知的障がいの世界に飛び込み、2年経とうかという頃。
ある人が僕にこう言った。
「君は利用者を殺すね。」
僕はびっくりした。
なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ。
「あなたなんかより僕の方が遥かに彼らのことを想っている!」
口にこそ出さなかったが、心の中でそう思った。
その人はこう続けた。
「君は利用者に近すぎる。近すぎて全体が見えていない。利用者から心の距離を5m、君の場合は10mくらい離れるつもりで関わった方がいい。」
福祉に携わる者は、もっと福祉のことを「学問」として捉えるべきと感じている。
では「学問」とは何か?
「学問」とは「先達の研究の上に、自らの研究を積み重ねること。」である。
僕が今生で、発達障がい分野の支援を一から体系付けて・・・
なんてことはきっとできない。
僕らが一生をかけてできることは「階段を一歩上る」それだけかもしれない。
っていうかそれでいい。
強度行動障がいというレッテルを貼られた、我が住人たちと暮らす日々。
ある時僕はこう感じた。
愛でどうにかなるんだったら、親がなんとかしてた。
だって我が住人たちへの愛では、親に敵うわけがないもの。
教育でどうにかなるんだったら、学校の先生がなんとかしてた。
だって我が住人たちへの教育では、学校の先生に敵うわけがないもの。
その人たちが「さて困った!」と言って、我が住人たちは僕のところにいるのだから。
愛じゃない、教育じゃない何かを、僕も我が住人も求めている。
それがきっと「福祉」なんだと。
もちろん福祉の現場で、今もなおがんばっている人たちの「想い」を否定するわけではありません。
その想いが溢れ過ぎてしまわないための、魔法の言葉。
「愛は禁止」