いつも仕事で何気なく遣っていた「自立」という言葉が、なんとなく気恥ずかしいのは、たぶん現在の僕を形成する僕の歴史の中で、僕の両親から何度となく、というよりも常に日頃より言われ続けてきた言葉だからに違いない。
というわけで「自立」という言葉は何も障がいを持つ彼らのためだけに用意された言葉ではなく
「そんなことでは将来、自立してやっていけないわよ!」とか
「お友達を見てみなさい、もうみんな自立しているでしょう!」とか
「旦那と別れて早く自立したい!」とか
「自立」という言葉は、その年代や環境に合わせて微妙に意味や重みを変えながら、日常茶飯事に様々な生活の場面で顔を出す言葉のようです。
では「自立」とはいったいなんなのでありましょうか?
こういう時はやはり人の助けを借りる必要がありますね。
というわけでとりあえず辞書を引いてみました。
すると以下のように記されています。
自立:〔名詞〕他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに存在すること。
ちなみに「孤立」はというと
孤立:〔名詞〕一つまたは一人だけ他から離れて、つながりや助けのないこと。
「自立」と「孤立」はいったいどう違うのでしょう?
というよりも障がいを持った人にしても、健常と呼ばれる人にしても、このような意味合いでの「自立」が本当に必要なのでしょうかと疑いたくなります。
さてある年、僕の作業所へ実習に来た専門学校生2人が、実習の最後に奇しくも同じような結論に達しました。
彼らが我が住人から学んだこととは!
下記は彼らの実習日誌からの抜粋です。
「自立にはその人だけの自立というものがあると思う。」
「視力の悪い人がメガネをかけるような自然さで必要なサポートを受けながら歩みゆく。人にとっての自立とはそういうことではないだろうか。」