〜 缶コーヒー 〜
<耳障りの良い話>
とある街の入所施設を取材したビデオ映像に、こんなシーンがある。
我先にとジュースの自動販売機に群がる、施設を利用する人たち・・・
テロップにはこう流れる。
「この施設では糖尿病の施設利用者に配慮して、施設全体として、施設を利用する人たちがジュースを飲むのを、週1回と決めているのです。」
このビデオを観た一般の人たちは、口々にこう言う。
「ええ話やなぁ〜」
<お土産>
僕は知的障がい者福祉の仕事を通して、様々な場所に行くことができた。
旅行は彼らにとっても、一大イベントだ。
一年の中で、一番大きな楽しみと言っても、過言ではない。
入所施設で働いている頃、僕は付き添いで二度ほど旅行に行った。
一度目は九州。
二度目は大阪だった。
二度目の旅行から戻って来て、職員室でぼんやりしていた時・・・
他の職員がこんな会話をしていた。
「○○さんさ、自分のお土産に缶コーヒーを買ったんだよ。おっかしいよね。ここでも同じものが買えるのにさ。」
自分のお土産に缶コーヒーを買ったその人は、中軽度の知的障がいの人で、事実自分の親などへのお土産は、八橋などを選んで買えるような人だった。
僕はこの職員たちの会話を聞いていて、段々腹が立ってきた。
「自分のお土産にと缶コーヒーを彼に買わせたのは、日頃の我々の支援のせいだ!」
<唯一の表出>
入所施設で暮らす人々の生活には自由なんてない。
だって24時間365日の集団生活なんだもの。
集団生活を強いられた彼らが、自分の想いを表出できるのはジュースを選ぶことだけなのかもしれない。
入所施設での仕事の中で、ジュースの件で崩れる利用者をたくさん見てきた。
自分のお土産に缶コーヒーを選んだ、彼の気持ちは痛いほどよくわかる。
だってそれが自分を表出できる唯一の・・・
彼をそのように仕立て上げたのは、きっと僕らなのだ。
<明日に踏み出す力>
ハンセン氏病で入所していた人の手記に、このように書いてあった。
施設を出るとき、弁護士たちは僕にこう言った。
「あなたは被害者なのです。」
僕はその時点では、どう被害者なのかわからなかった。
しかししばらくしてから、どんな被害を受けたのかを理解したのだ。
「これからはあなたの好きにしていいんですからね!」
「これからどうしたいですか?」
こんなことを言われて、僕は戸惑った。
僕は「何がしたいのか」「どうしたいのか」まったくわからなかった。
なぜなら僕は自分を出すことが許されない場所に、ずっと居たのだ。
僕は「僕という人生」丸ごとに被害を受けていたのだ。
入所支援を否定するつもりはない。
地域支援を賛美するつもりもない。
ただ言っておきたい。
願いが叶うとか、叶わないとかは関係ない。
でも人は願いを叶えようとして、生きるものだ。
だから明日に向かって、歩くことができるのだと!
平成22年1月11日(月)
(C) Takashi Yokota 2010
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