〜 体罰(4) 〜<やっぱり禁止>「体罰(3)」の続き・・・ 体罰を肯定する支援者 その支援者は「私はこの子のことを思って・・・」 だから質が悪い。 似たようなことを「愛は禁止」にも書いた。 <やめられない人たち>にしても支援者やボランティアには 「体罰せざる得ないほど追い込まれてしまうなら、お互いのために辞めた方がよい」 っては言える。 しかしその立場をやめることができない人たちもいる。 その立場とは「親」だったり「兄弟」だったりだ・・・ <玉虫色>「体罰(3)」で「体罰とは感情の発露だ!」と書いた。 っとするならば その感情の発露が人格を保つ上で必要だとするならば・・・ 「体罰はダメ!」と簡単に僕が否定できるものではない。 なぜなら時に我が住人たちの不適応行動は、その周囲の人格を大きく傷つけてしまうことがあるからだ。 <それでも>でもそれでも知っていてほしい。 問題行動ではなく、不適応行動だということ。 彼らの中に障がいがあるわけではないということ。 体罰は「してはいけない」ではなく「できないのだ」ということ。 平成22年6月14日(月)
(C) Takashi Yokota 2010
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