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おしゃべリズム

写真:セッション風景

<おしゃべリズムスタート>

平成14年度、学校にも完全週休二日制が導入された。
重い障がいを抱える当事者、そしてその保護者は乏しい社会資源の中で、どうやって充実した時間を過ごそうかと悩んでいた。
そんな社会背景の下、平成14年の6月に札幌この実会の地域支援事業「あそび虫クラブ」のひとつとして、おしゃべリズムはスタートした。
「あそび虫クラブ」は月2回土曜日の午前中に、日中一時支援という制度を利用して「パソコン」、「乗馬」、「音楽」の三つのメニューで行われる。
おしゃべリズムは僕がその「音楽」の部門を担当したのがきっかけで始まった。

写真:セッション風景

<おしゃべリズム前夜>

平成14年の2月、初めて音楽療法を体験。
その講座の中で特にリトミックに注目した。
この内容をもっと簡素化すれば、重い障がいを持つ人も参加できるようなプログラムになるのではないかと感じた。
そして翌月の3月、地域支援事業の中で音楽療法を実践する機会を与えられる。
初回は3人の中学生たちが参加してくれた。 見よう見まねで始めた僕のの音楽療法、とにかく楽しんでもらおうと思った。
・みんなでタンバリンを叩く。  ・あずきと空き缶でシェーカーを作る。
・音楽に合わせてステップを踏む。 ・歌を聴きながらお絵かきをする。

しかし参加者に笑顔は見られなかった。
僕はどうしてよいのかわからず、気分が高揚するようなプログラムをやり続ける。
しかし結局最後まで彼らが楽しんだ様子は確認できなかった。
写真:セッション風景 その日の夕方、職員の打ち合わせの時に、僕のセッションに参加してくれた中学生の女の子が、セッション後も作ったシェーカーを振って楽しんでいたことが報告される。 笑顔はなかったけど、内心楽しんでいてくれたんだと少し安堵した。
次の日、また来るはずだったその女の子は来なかった。
理由は昨晩寝ずにシェーカーを振り続けていたからとのこと。
原因はきっと僕が彼女をクールダウンさせないままセッションを終え、帰してしまったからだ。
僕らは高揚しても、自らクールダウンすることができる。
しかし自閉症などの発達障がいを持った人たちの中には、自分でクールダウンすることができず、高揚すると疲れ果てるまでその状態を継続してしまう人もいるのだ。
その時に僕はクールダウンの重要性を身にしみて感じた。
それ以来セッションの最後には必ずクールダウンを入れるようにしている。

<ボンランティアとは>

写真:セッション風景

おしゃべリズムを始めた当初、もちろん良いセッションができていたわけではない。
プログラムもいろいろなものを試し、試行錯誤を重ねていた。
しかし仕事ではなく、自分の休日を使ったボランティアとしての活動だったので、今にしてみれば少し甘えがあった。
上手く行かなくても「しょうがないよ」っていう感じで、ボランティアという立場に逃げ場を求めていた。
しかしある日のセッション終了後、事務室に立ち寄った際に、おしゃべリズムの参加者の保護者がお金を払っているのを見かけた。
「そうだ!自分はボランティアだとしても、参加者は日中一時支援という制度に発生する自己負担分を支払っているのだ。サービスを買っているのだ。」
それを目の当たりにして、僕はおしゃべリズムも仕事と同じように懸命に取り組む必要があることを感じた。

<おしゃべリズムこそ僕の札幌での歴史>

平成13年の10月北海道にやって来て、平成14年の6月から本格的におしゃべリズムは始まった。平成21年12月現在、おしゃべリズムは8年目に突入している。
平成15年、僕が札幌この実会を辞めた時に終わってしまわず、その後も西野地区センターという公共施設に場所を移し活動を続けた。
これまで続けてこられたのも、参加者、保護者、そしてボランティアとして参加してくれている多くの支援者のおかげだ。
北海道に移住してから始めた僕の活動の中で、おしゃべリズムは一番の古株だ。
できればずっと継続していきたい。

写真:セッション風景

<音楽療法とは>

僕にとって音楽療法とは?
正直いっておしゃべリズムを音楽療法と呼ぶ必要などないと思っている。
ただ他の人に伝えるにあたって、音楽療法やミュージックセラピーというと伝わりやすい、それだけだ。
セッションで目指しているものは障がいの改善ではない。
音楽を媒介にするからこそ、伝えられるものがある。 それを参加者に伝えたいだけだ。
もちろん各プログラムは、ちゃんと意味付けされてはいる。
プログラムの背景にはきちんとした意図があるのだ。
見ているだけなら、ただ遊んでいるようにしかみえないだろう。
でもそれでいいのだ。
僕の目指す音楽療法とは・・・
まだ小さいとき、お風呂上りに母親が僕の体を拭いてくれているとき、母親は鼻歌を歌っていた。 微笑みながら・・・
そんな自然で、ごく当たり前な、とても身近なもの。
「これから音楽療法をします。」とことわって始めるようなものではなく。
僕に言わせれば音楽療法は、いつもどこにでも存在しているのだ。
それに気付けるかどうかだと思っている。


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(C) Takashi Yokota 2009