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<始まりそして終わり>
平成21年3月 僕は知的障がい児者福祉の現場を去った。
音楽に重心を置くためだ。
知的障がい児者福祉の仕事は、僕の全精力を尽くしてもまだ足りない。
このままではどちらとも中途半端になってしまう。
ファーストアルバムのレコーディング中、この仕事をやりながら音楽をやり続けるのには限界を感じていた。
僕はかつて「自分のやりたい音楽」を信じあえる仲間とするために北海道にやって来た。
そして自閉症と出会った。
<自閉症との出会い>
障がいを持つ人たちとの関わりは、僕自身を大きく変えた。
今の僕があるのは彼らのおかげといっても過言ではない。
自閉症の人の世界はある意味で異世界だ。
だから海外に行くと外国が見えるのではなく日本が見えてくるのと同じように、自閉症の人と対峙すると自分が見えてくるのだ。
僕は自閉症の人たちとの関わりから、たくさんのことを教わった。
<この道の先に>
彼らから受け取ったものを自分の心の中にだけしまっておいてよいのか?
知的障がい児者福祉の仕事を辞めてから、そうずっと考えていた。
後を継ぐものたちに、そして今も悩む当事者たち、保護者たちに伝えたいことがある。
伝える義務があるとも感じる。
僕らは歴史の中の小さなひとつに過ぎない。
僕と同じ道を歩むのではなく、僕の歩んだ道の先に道をつくって欲しいのだ。
<僕らの歩み>
ちなみに僕は必ずしも良い支援者だったとは言えない。
結果だけから見ればあまり良くない支援者だったのかもしれない。
ひとりは自傷行為で二度の網膜剥離の末、左目はほぼ失明状態だ。
ひとりは最終的には家のものをすべてひっくり返し、一箇所に固めた。作業所でもストーブを配管から外し、その人のエリアの片隅に他の荷物と一緒に固めた。僕はご家族をがんばらさせすぎた。
ひとりは投薬調整が上手く行かず、カタトニア(行動停止)にさせてしまった。結果として作業所に出勤するために、彼の住むケアホームを出る時間が昼を越してしまうようになった。
ひとりは作業所に来ることができなくなり、自宅では座ることができず、うっ血して象のような足になってしまった。
ひとりは・・・
これらの要因のひとつは僕の知識不足、経験不足から来るものだ。
<終わりそして始まり>
もちろん「それでも君だからどうにかやって来れている!」そう勇気付けてくれた保護者たちがいた。
きっとだからどうにかやって来れた。
そして平成21年の3月、彼らにさよならをした。
「じゃあ明日また」っていうさよならではない。
けして戻ることのできない旅を始めたのだ。
しかし自閉症と重度精神発達遅滞(知的障がい)を併せ持つ彼らとの関わりはこれで終わりではない。
そう新しい関わりが始まったのだ。
その第一歩を今日踏み出した。
平成21年12月15日 横田岳史
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