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蔵漆紅ライブ

LIVE 12月22日

薪ストーブの煙を吸い込んでしまい、かなり声がヤバイですが・・・
でもせっかくなんでご覧くださ〜い。


戻れない旅 戻らない旅

〜dear mother〜

大学を卒業した後、就職もせずアルバイト生活を続けたのは? もちろん音楽がやりたかったから。 でもどうしたらよいのかわからなかったので、とりあえずデモテープ制作をしつつ、コンビニでアルバイトの日々・・・
しかし箸にも棒にも引っかからず。そんな折に高校時代の後輩で、北海道大学にて数学を教える友だちが僕に 「札幌で凄い人に出会ったから、一度遊びに来い!」とのこと。
なんだかよくわからなかったのだが、とりあえず訪ねてみた札幌。 そこでであったのが現在、僕のプロデューサーである金田一昌吾さん。 ドキドキしながらデモテープを聴いてもらった。
すると「君はシンガーではなく、ソングライター希望ってことだけど、君の創る歌は君にしか歌えそうにないものばかりだね。 東京に戻るまでに1週間あるみたいだからBzが今井美樹がSMAPが歌ったら売れそうな曲、3曲をつくっておいで!」とのこと。
今振り返ると、あの日から僕の「戻れない旅 戻らない旅」は始まっていたのだ。

プロモーションビデオ

 3gp(7994KB)

wmv(19.6MB)

mpeg(43.5MB)

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写真:横田岳史(北大の紅葉)

家主の自己紹介

横田岳史略歴


<今はなき大宮市に生まれる>

父親が転勤族だったため、大宮(埼玉県)→つくば(茨城県)→横浜(神奈川県)→佐世保(長崎県)→堺(大阪府)→高槻(大阪府)引越しを繰り返す。

<小学4年、ラジカセを買ってもらう>

父親のステレオを勝手にいじくろうとするため仕方なく父親は息子にラジカセを買い与える。最初に録音したのはラジオから流れていた杉良太郎の「すきま風」

<小学6年、洋楽に目覚める>

レコード屋で流れていたアースウィンド&ファイアーの「レッツグルーヴ」に心を奪われる。その後ジャーニーなどを聴きまくり、洋楽一本へと・・・

<高校1年、ヘビーメタルバンド結成>

オジオズボーンなどの悪魔系、今で言うデスメタルのバンドを始める。しかし高校2年の時にバンドはポシャリ、それからはピンクフロイドなどに代表されるプログレッシブロックに傾倒するようになる。

写真:横田岳史(バーにて)

<浪人時代、ジャズにも手を出す>

チックコリアの「ナウヒーシングス ナウヒーソブス」を聴いて感動。ジャズだけでなく民族音楽にも興味を持ち始め、早朝3時45分放送のラジオ「民族音楽をたずねて」を聴いてから寝るのが習慣に。


<大学1年、原田知世に涙する>

邦楽なんて、アイドルなんてと避けてきた日本の音楽。先輩の車から流れてきた原田知世の「時をかける少女」に泣いてしまう自分を発見。それからはどんな音楽でも楽しめるようになる。

<大学卒業、そしてフリーターに>

数学教師が決まっていた甲子園の常連高として有名な常○学院を蹴り、大学時代からやっていたローソンのアルバイトを継続。フリーアルバイターと化す。

写真:横田岳史(バーにて)

<30歳直前、音源完成、そして挫折>

できるできるといい続けてから早何年?やっとのことで完成した自作自演のデモテープ。そのデモテープを各レコード会社に送るがなしのつぶて・・・

<30歳、北海道に出会う>

北大で数学者をしている高校の後輩から紹介を受けた元スタジオミュージシャンの金田一昌吾さん(現在カレー&コーヒーパパスのオーナー)。この出会いが僕を新しい世界へと導く。

<32歳、札幌に移住>

自分の音楽を見つけるために札幌の後輩宅に居候。とりあえず職をってことで、知的障がいの世界に突入。自閉症の世界に魅せられ、障がい児者の音楽療法なども始める。

ロゴ:パパスサウンドマニファクチュア

<2009年、ファーストアルバムリリース>

音源制作を始めてから早何年?
やっとでき上がったこのCDをたくさんの人に聴いてもらいたい!
横田岳史、そしてP.S.Mをサポートしてくれる人たち募集中!!

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(C) Takashi Yokota 2009