みなさんお久しぶりです。
たくさん休ませていただきました。
そしてとうとう五月になってしまいました。
四月でひと区切りの予定でしたが・・・
あと少し記事が残っているのでアップさせていただきたいと。
ただ五月より社会復帰(?)してしまったため、週1回くらいのペースでと・・・
にしても記事終了後もインターネットテレビ版「福祉の住人」のアップや、ライブ情報の発信をこのサイトでさせていただく予定です。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
「メリーとデメリ(3)」の続き・・・
さて「コーンスープもれなくプレゼント計画」の失敗とはなんだったのでしょうか?
「朝ごはんを8時に食べられたらコーンスープ」
職員としては彼のメリットのつもりだったのでしょうが・・・
結果を出せなければ「コーンスープが飲めない」という彼のデメリットになってしまい・・・
にしても「コーンスープが飲めない」というデメリットの出現は、彼にしてみれば行為としての出現ないのでわかりづらいのではないでしょうか。
「嫌いなものを無理やり食べさせられる」というのであれば、デメリットが出現していると感じられるのでしょう。
しかし「食べられない」というのは行為として観念的であり、それを理解につなげることはきっと困難なのでしょう。
それならば
「メリットの消失」と「デメリットの出現」
又は
「メリットの出現」と「デメリットの消失」
それらが一体として行われれば理解につながるのではないかと考えたのです。
そこで彼の楽しみのひとつがバス通所だったので、約束の時間に出ることができなければバスには乗れず、職員と歩いて通所するという支援を行いました。
これにより時間を守ることができたらバスに乗ることができるという「メリットの出現」と、時間を守ることができなかったらバスに乗れず、しかも4kの道程を歩いて通所するという「デメリットの出現」が一体として提供できるように!
この試みの継続により、彼の行動修正が可能となりました。
ところでデメリットの出現を「罰」だとして捉えた場合。
今回のことで「罰」とは何なのかがわかりました。
例えば約束の時間を守ることができなかったら「注意する」ってのをしたとしましょう。
この場合デメリットの出現、要するに「罰」とは「注意される」ということです。
正しい行動をした場合に出現するメリットは「注意されない」ということになります。
「注意されない」という行為は観念的であり「食べられない」という支援と同じように理解にはつながらないのです。
また「注意される」という行為は受動的であり、そこに本人の参加はないのです。
ってことを鑑みれば、我が住人たち、否もちろん僕らもですが、理解しやすいと思われる「罰」とは!
その罰に本人の参加が必要。
そして罰されないときのメリットに実体が必要なのです。
「結論」なんていうと堅苦しい・・・
論文じゃないんだからって思いつつも・・・
せっかくなのでちょっと気取って!
・ 「メリットの消失」と「デメリットの出現」又は「メリットの出現」と「デメリットの消失」は一体として行われる必要がある。
・ 「メリットの出現」や「デメリットの消失」だけでなく「メリットの消失」や「デメリットの出現」にも本人の能動的な行為への参加、実体のある活動が必要である。
にしても僕の意図したことが上手く伝えられたか自信がありません。
特に「罰」の部分・・・
間違った受け取られ方をしていたら困るので、次回はずっと温存していた「体罰(1)」をアップします。