久しぶりに実家に帰ったときにみた夢のお話・・・
我が住人が僕の実家に泊まりに来ており、テレビを観ている。
なぜか他の支援者たちもそこにおり、お笑いのビデオをみんな一緒になって観ている。
僕はこの夢をみながらふと思った。
これが「支援の肝」だと。
僕は我が住人たちと本当の意味で時間を共有できているだろうか?
確かに支援者は彼らが主体となって活動できるようにサポートする。
言わば黒子のような存在だ。
しかし活動とは誰と一緒に活動するかというのも重要なファクターであり。
例えば同じ夕食でも「友達と食べる」のと「恋人と食べる」のでは別物なわけで・・・
とは言えもちろんのこと支援者は「友達」や「恋人」の代わりではない。
あくまでもサポーターとして彼らを支えていく存在なわけで。
だとしても彼らと同じ時間を共有し、同じものを見て、聴いて、味わって、触って共感することまでをも否定してはならないと・・・
いや否定どころかそれが「支援の肝」だと!
作業所にいた頃は本当によく写真を撮った。
彼らの表情は本当に自然だった。
しかしマンツーマン支援の居宅支援事業所に異動してきてからは、ほとんど撮らなくなった。
その理由は今になってよくよくわかる。
我が住人たちの表情に興味がなくなったわけではない。
彼らの笑顔、その横に何かが足りないのだ!
それは支えるものの笑顔だ。
作業所時代はデジカメを持ち、職員やボランティアと一緒に過ごす我が住人の表情を撮りまくった。
驚くべきは彼らの笑顔の横に写っているサポーターの笑顔も自然なことだ。
そこには明らかに時間の共有を感じさせられる何かが写真という形で切り取られていた。
僕らは彼らにとって「与えるもの」でもなく「仕えるもの」でもない。
僕らにできることは彼らと同じ時間を共有すること。
それだけだ。
支援する皆さん、たくさんの仕事に忙殺されているとは思いますが、彼らと一緒に「喜怒哀楽」をよろしくね!