「義務と権利(2)」の続き・・・
前回、我が住人たちを支援するためにどれくらい税金が遣われているかを示しました。
日中活動、ナイトケア、余暇活動、年金等で58万円也。
「ちょっと高いんじゃないの」って思われたのではないでしょうか?
確かに安いお金ではありません。
しかし人の人生を支えていくにあたって、満足行く金額かと問われたら・・・
僕はきっと首を振ってしまうでしょう。
もちろん「効率的に職員を配置して」っていうのは、当然すべき努力だと思います。
しかし我が住人の生活を効率だけで捉えてしまうと・・・
きっと答えは「入所施設」
住む場所、働く場所、余暇を過ごす場所を一つのところにまとめてしまえば、効率的な職員の配置も可能でしょう。
支えていく人の気持ちさえあれば、入所施設でも「安かろう悪かろう」っていう支援にはならない。
確かにそうでしょう。
だから平成15年3月まで続いた措置法では、入所施設がメインだった。
正に入所施設に措置することだった。
でもその入所施設を否定したのは、障がいを持った彼ら自身なのです。
しかもその声は長い時間をかけて、やっと僕らに届いた彼らの必死の思いなのだと。
20歳を過ぎてしまうと発語が期待できない。
単語のみだとしても、言葉を発っし始められるのは10代までだと。
ちなみに25歳で「お母さん」と発語し、保護者によるその感動の手記が新聞に載った我が住人もいます。
僕が今まで耳にした中での発語の最高齢は。
なんと29歳。
でもあまりよい話ではありませんでした。
まったくしゃべらなかった人が入所施設に入り、人生で初めて言葉を発しました。
「いやだ」と・・・
よろしくない例だけを積み上げて、入所施設支援を批判するつもりはまったくありません。
ただ僕は入所施設に住んでいたことがあります。
もちろん我が住人たちと同じ部屋に。
たった4ヶ月ですが・・・
その話は「地域に暮らす」に書きました。
僕は思うのです。
効率を優先した暮らしには「潤い」がないって・・・
そして効率を優先した社会も同じだって・・・
我が住人たちの暮らしをコンパクトにまとめ上げ、職員を効率的に配置し、臨時職員や契約職員を多用して・・・
それこそデフレスパイラル。
もっと大きな流れの中で、お金をまわすことを考えていくべきだと考えたり・・・
にしても我が住人を支援するお金が、大切な税金であることには変わりありません。
「有効に」という意味での効率は、当然図られるべき!
次回「義務と権利(4)」
やっと本題に・・・(苦笑)