〜 体験と経験(1) 〜<ある発表> とある音楽療法学会の発表に、こんなものがあった。
「曲順にこだわる自閉症の女の子への音楽療法の取り組み」
予定を変更すると、パニックしてしまう子供にお母さんは困っていた。
「この取り組みに慣れ始めてから、自宅で予定の変更があっても、パニックに至らないことがみられるようになりました。」 <指示待ちの形成> この発表を聞いて、開いた口が塞がらなかった。
にしても発表後の質問時間の際に、僕の信頼する音楽療法の先生が、すぐに異を唱えてくれたのでややホッとした。 でもこんな話はいくらでもあるのだ。
こんなことを言って申し訳ないが、そのピアノの先生の取り組みは、虐待と何ら変わらない。
きっとその自閉症の女の子は、自らを傷付けながらこう学んだに違いない。
このようにして「受動型の自閉症」というのが形成されていく。
<やっぱり禁止> もちろんそのピアノの先生も、その子が自傷をしているのを横で見ていて、とてもつらかったに違いない。
そんなとき人は、念仏を唱えるように、自分で自分に言い聞かせるのだ。 「この子の将来にとって、この取り組みは必要だ。きっとこの子は、いつか私の想いをわかってくれる。」と・・・ だから僕は言う。
<ハードル>僕もずいぶん我が住人たちを苦しめてきた。 「変化を受け入れられることは、彼の将来にとって大事なことだ。」とか 「こうやって人は我慢を覚えていくのだ。」とか・・・ まったくその通りだとは思う。 でも僕が彼に乗り越えてもらおうとして、与えたハードルの高さはどうだろうか? 誰だって高すぎて飛べないハードルの前では、いつしか飛ぶことさえあきらめてしまうに違いない。 「体験と経験(2)」に続く・・・ 平成22年1月18日(月)
(C) Takashi Yokota 2010
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