〜 構造化という支援(7) 〜<遮断>というわけで「構造化という支援(6)」の続き・・・ 構造化という支援の目的は、やはり一目瞭然 「一目でわかる」が、この支援のミソ! しかし鉄格子で内と外に分けるようなものを、構造化と呼ぶのかといえば・・・ 構造化とは呼ぶかもしれませんが、構造化という支援とはきっと呼びません。 僕がトイレットペーパーの芯を外せないように工夫したことも、構造化という支援とは・・・ <了解と断念>我が住人はトイレットペーパーの芯が外せなくなったのを見て、どう思ったのでしょうか? 「あ〜芯は取っちゃダメなのか!」と了解したのか? 「あ〜芯が取れなくなっちゃってる!」と断念したのか? 残念ながら後者なのでしょう。
他のトイレでは、やはり便器に芯を流してしまっていたし、それどころか作業所のトイレで芯が取れなくなったためか、トイレ内のものを一箇所に集めてしまうような問題行動が見られ始めるようになったのです。 <メッセージ>このように問題行動を構造化で解決した場合、この問題行動がもしストレスから来るこだわりの表出だとするならば・・・ 結局違う形の問題行動として現れることになるのです。 やはり問題行動と呼ばれるもののほとんどは、彼らからの何かしらのメッセージなのでしょう。
<やっぱり心技体>構造化にはきっと力があります。 しかし力というのは振るい方を間違うと、暴力になります。
トイレットペーパーの芯を外せなくした構造化は、たくさんの人から喜ばれたアイディアでした。
ただあの時の僕は、今回「構造化という支援」で書いてきたことを踏まえた上で、我が住人に構造化を提供できていたのでしょうか・・・ 〜追伸〜
「ペーパーフォルダーに鍵が付くと犯罪が増える」なんてことにならないとよいのですが。 そういえば最近札幌ではひったくりが増加してるとのこと。 あっ書き忘れていたことが・・・
平成22年2月10日(水)
(C) Takashi Yokota 2010
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