〜 障がいってなに?(2) 〜
<障がいの存在>
さて「障がいってなに?(1)」を読んでみなさんはどう感じましたか?
A君、B君とも「障がいとは人の中にある」と考えて論じているように感じませんでしたか。
果たしてそうなんでしょうか?
障がいとは当事者の中に存在しているのでしょうか?
もし人の中に存在しているのであれば治してあげたいですよね!
<障がいの発生>
さてまたまた乱暴な切り口ですが、例えば「足が不自由」っていう人の障がいとはなんなのでしょう?
「足が不自由なために動くことができなくて、自力での生活が困難」
「自宅の中では様々な工夫でどうにか暮らしていけてるけど、買い物とか役所での手続きとかがなかなかね・・・」
とどのつまり社会参加が自力でできない。
要は社会参加する時に障がいが発生するんじゃなかろうかと。
つまり当事者自身に障がいがあるのではなく、他との関わりがあって初めてそこに障がいが生まれるのだとしたら。
事実身体障がいの世界では最先端の科学技術により、これからどんどんと新しい展開が生まれ、アブテクノロジーによりゆくゆくは障がいがなくなるのでは!と言われています。
実際に日本が誇る自動車メーカーのトヨタでは、階段が昇れる義足などの開発を進めているし、他の企業でも高齢者にパワースーツを着せて、自立した生活をとか・・・
っていうか年老いても若者に負けることが許されない社会ってのも、どうかとは思いますがねってことは次号の「自立ってなに?」の、なになにシリーズで書こうかと(笑)
<障がいはなくなる>
では知的障がいにはどんなアプローチがあるのか?ってことですが。
最先端の科学技術で新しい精神薬が開発され・・・
なんてことではないでしょう。
さっきの例のように足が不自由なため移動に制限があるゆえに、社会参加が難しいのと同じように、知的障がいや発達障がいゆえに社会参加が難しい。
だとすればやはり「他との関わりがあって初めて障がいが生まれる」「社会があって初めて障がいが生まれる」なんじゃないかと。
であれば「当事者が変わる」「他(社会とか)が変わる」ことでの解決が模索できるはず!
だから社会の中にある支援という名の様々な取り組み、そしてその方法論の根底には「障がいはなくなる」という捉えが必要だと僕は考えています。
<もう一度・・・>
障がいとはいったいなんなのでしょうか?
・ 障がいは治らない
この仕事を始めたばかりの頃、当事者と関わったことのない地域の人や、僕の作業所に実習に来た大学生、専門学校生にはこのように答えていました。
僕にそう教えられてしまったみなさんへ
そして障がいを持つ当事者とそのご家族へ
ごめんなさい。
今の僕ならこう答えます。
・ 障がいはなくなる
平成21年12月25日(金)
(C) Takashi Yokota 2009
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