というわけで「構造化という支援(6)」の続き・・・
構造化という支援の目的は、やはり一目瞭然
「一目でわかる」が、この支援のミソ!
しかし鉄格子で内と外に分けるようなものを、構造化と呼ぶのかといえば・・・
構造化とは呼ぶかもしれませんが、構造化という支援とはきっと呼びません。
僕がトイレットペーパーの芯を外せないように工夫したことも、構造化という支援とは・・・
我が住人はトイレットペーパーの芯が外せなくなったのを見て、どう思ったのでしょうか?
「あ〜芯は取っちゃダメなのか!」と了解したのか?
「あ〜芯が取れなくなっちゃってる!」と断念したのか?
残念ながら後者なのでしょう。
彼の理解につなげられていないから、他のトイレで汎化されることはもちろんありませんでした。
他のトイレでは、やはり便器に芯を流してしまっていたし、それどころか作業所のトイレで芯が取れなくなったためか、トイレ内のものを一箇所に集めてしまうような問題行動が見られ始めるようになったのです。
このように問題行動を構造化で解決した場合、この問題行動がもしストレスから来るこだわりの表出だとするならば・・・
結局違う形の問題行動として現れることになるのです。
やはり問題行動と呼ばれるもののほとんどは、彼らからの何かしらのメッセージなのでしょう。
だからこそ支援者は問題行動を「適応できないことによって表出される」という意味の不適応行動として認識すべきなのです。
構造化にはきっと力があります。
しかし力というのは振るい方を間違うと、暴力になります。
だから心技体なのです。
トイレットペーパーの芯を外せなくした構造化は、たくさんの人から喜ばれたアイディアでした。
あの構造化を今、否定するつもりはありません。
ただあの時の僕は、今回「構造化という支援」で書いてきたことを踏まえた上で、我が住人に構造化を提供できていたのでしょうか・・・
〜追伸〜
「風が吹けば桶屋が儲かる」
物事は思いもよらぬところに波及するという意味ですが・・・
「ペーパーフォルダーに鍵が付くと犯罪が増える」なんてことにならないとよいのですが。
そういえば最近札幌ではひったくりが増加してるとのこと。
あっ書き忘れていたことが・・・
そのうちまた「構造化という支援(番外編)」で(苦笑)
とりあえずここまで!