僕が我が住人たちと一緒に作業所で働いていた頃の話。
たくさんのボランティアの方たちに支えていただきました。
さてボランティアを志願してきた人に、僕はまず最初にしてもらったことがあります。
それは何か・・・
「我が住人と二人で街を歩いてもらう」
ボランティアを志願した人はその活動の中で気づくのです。
街を行く人々のたくさんの視線を・・・
その視線は我が住人と歩く彼らの目にどう映ったのでしょうか。
彼らの目に映った街の人々の視線は、きっと普段の街を歩く時の彼ら自身のものであるのでしょう。
だから自分が障がいを持った人たちを、日頃どう捉えているのかが、我が住人と街を歩くことでわかります。
ある人はこう言いました。
私は彼らをかわいそうな人と思っていました。
だからそのかわいそうな人に何かしてあげたいと思いました。
でもそのかわいそうな人と一緒にいる私も、街を歩く人からかわいそうって思われていることに気づき耐えられませんでした。
彼らとの触れ合いの中で本当の自分に気づかされることが多々あります。
僕は知的障がいの仕事の中で、彼らを通していつも自分を見つめていたと感じています。
特に異文化を持つ人といわれる自閉症の我が住人たちと触れ合って「自分ってこうなんだぁ〜」と。
まるで初めて外国に行った大学生の時に「外国に行くと外国がわかると思ってたけど、逆に日本が見えてきた」って感じたように・・・
それは互いの違いを見つめ、認め合おうとする抗いの中での産物!
人と対峙するってことは結局のところ自分と対峙するってことなのだと。
ある意味においては特殊といわれる我が住人と関わる中で、僕が気づいたことのひとつです。