「ワーキングメモリー」と予告していたのですが・・・
「カンボジアの記事は?」とメールなどでのお問い合わせがあったので、またまたリハビリ(苦笑)
金曜日には必ず「ワーキングメモリー」をアップします。
僕が今回訪問したのはシュムリアップ。
アンコールワットのある観光都市です。
特に治安が悪いと感じさせないのは、きっと危ない場所に行っていないからなのかもしれませんが・・・
僕は毎晩、屋根付きのベランダでハンモックに揺られながら、ギターを抱えて眠っていました。
しかし宿泊先の孤児院から5kmも離れていないところでは、貧困にあえぐ人々が未だに泥水をすすっているとのこと。
僕は今回最下層の集落を見ることはできなかったのですが、一緒に宿泊していた日本人の方が「想像を絶する」「瞳の中に力がなかった」と言っておられるの聞きました。
安定しているだろうと思われる公務員の給料は月$30程度。
日本円にすると2700円強。
もちろんこんな額で生活が成り立つわけはなく・・・
それぞれが生きるために、いろんな手法で稼いでおられるようです。
自国の通貨リエルよりもドルが大切にされており、稼ぎ頭であるはずのアンコールワットの外国人観光客入場料($20/1日)は借金の形にベトナムに権利を委譲しているとのこと。
日本からの多額のODAは、結局のところ日本の企業が道路や水道システムの構築を請負い、インフラや雇用創出としてカンボジアの人々のためにはなっていますが、外貨としての国の収入を生み出しているわけではないようです。
短期間の滞在者である僕にとって、観光都市シュムリアップに内乱の傷跡を感じることはありません。
しかし現地で20年近く暮らす内田さんによると、「長い内乱時代の間、一日一日を生き延びることが生活のすべてだったせいか、その日がよければよしっていう気質を全体的に感じる」とのこと。
「先のことを思いやらず、今を生きる」そんな彼らに日本人が逆に見習うべきかもって思わないでもありませんが、事態はそんな単純なものではないようで「今を生きる」というよりは「今さえよければよし」という考え方が、時に短絡的な行動につながってしまうこともあるようで・・・
ゆえに闇経済のスパイラルから抜け出せないってことなのかもしれません。
闇経済のことを「お礼文化」と称して納得されている方もおられるようですが、割を喰ってしまう人も当然のごとくいるわけで・・・
「現状がどうだ〜」とか「内乱の傷跡がどうだ〜」とかなんて語っていると、「カンボジアの人々は不幸だ!」なんて思われてしまうかもですが、今回ご一緒させていただいた日本の方たちの意見の多くは「カンボジアの人々はとても幸せそうだ!」でした。
確かに彼らは笑顔は、カンボジアの太陽に照らされてキラキラ光っていました。
文明の発展と幸福度は比例するわけではないってこと、それは僕も頭ではわかっていましたが、やはり実際この目で見ると・・・
では「我々の支援は必要でないのか?」って言われると、議論は分かれるところですが、僕は必要だと感じるひとりです。
ではどんな支援が必要なのでしょうか?
最近2ch等で話題になっているようですが、とあるテレビ番組がカンボジアに学校を創るために寄付を募り・・・
しかしどうやらその学校は機能していないとのこと。
そうなんです。
お金だけじゃダメ、物だけじゃダメなんです。
いきなりなたとえですが、自転車を例にして説明します。
「物」が自転車の前輪だとし、「お金」が自転車の後輪だとします。
車輪だけもらっても前には進めません。
この車輪を回す力が必要なんです。
一度回り出せば後は自然と回り出す。
そんな仕組みの提供が必要、そして最初のひと漕ぎにもある程度手を貸す必要があるのだと。
内田さんの活動は、このように車輪を回す力のひとつなんだなと感じました。
だるま愛育園では今、自分たちの力で歩いていく試みが始まっています。
田んぼを買って、米を作っています。
内田さんが孤児たちと織り成す自立への試みに、確かな実がなることを僕は願っています。
そして僕がお手伝いできることとして、3月中にだるま愛育園のウェブサイトをアップします。
お楽しみに!
またカンボジアで彼らの笑顔をに会えることを願って・・・
内田さんからの依頼でだるま愛育園の歌をつくって欲しいとのこと。
というわけで作詞:内田弘慈さん
作曲:横田岳史
だるま愛育園「あすは詩」
だんま だるま あいいくえん
みんなはみんなでみんなのために
はやね はやおき はやめし はやぐそ
はやね はやおき はやめし はやじたく
エーイ エイ エイ オー
エーイ 元気に オー
おはようさん きょうも いちにち あかるく ありがとう
2番、3番へつづく・・・
こちらもお楽しみに!