「体罰(3)」の続き・・・
体罰を肯定する支援者
その支援者は「私はこの子のことを思って・・・」
だから質が悪い。
似たようなことを「愛は禁止」にも書いた。
にしても支援者やボランティアには
「体罰せざる得ないほど追い込まれてしまうなら、お互いのために辞めた方がよい」
っては言える。
しかしその立場をやめることができない人たちもいる。
その立場とは「親」だったり「兄弟」だったりだ・・・
「体罰(3)」で「体罰とは感情の発露だ!」と書いた。
っとするならば
その感情の発露が人格を保つ上で必要だとするならば・・・
「体罰はダメ!」と簡単に僕が否定できるものではない。
なぜなら時に我が住人たちの不適応行動は、その周囲の人格を大きく傷つけてしまうことがあるからだ。
でもそれでも知っていてほしい。
問題行動ではなく、不適応行動だということ。
彼らの中に障がいがあるわけではないということ。
体罰は「してはいけない」ではなく「できないのだ」ということ。